Yuriko.Net 個別記事
2009-01-17

14年前のこの日
関西で生まれ育ったわたしにとっては、1995年1月17日は、忘れようとも忘れられない日です。今年は14年後という「中途半端」な年なので、マスコミでは特集番組が少なく、NHK スペシャルの「阪神・淡路大震災、秘められた決断」ぐらいでしょうか。関西の民放でも特番はほとんどありません。
集められた証言はA4版でおよそ2400ページ。避難所のトイレ設置から犠牲者の斎場手配まで。被災地は何に直面し、人々はどう動いたのか? その現実を、時系列であらゆる角度から捉えたかつてない記録だ。しかも、この聞き取りは「非公開」を前提に行われたため、行政マンらがこれまで胸に秘めてきた「苦悩と選択」が克明に語られている。どの命を優先して救うのか? 被災者に不満が残らない物資配布の方法は? 数千もの犠牲者の火葬をどう行うのか…? NHK は、研究グループと聞き取り調査の対象となった神戸市職員一人一人から了解を得て、その原文を入手してきた。
あとは、GIGAZINE の「あの『阪神・淡路大震災』で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集」もすばらしいです。GIGAZINE お得意のムービー紹介ですが、さまざまな動画が紹介されており、すべて必見だと思われます。
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録画した NHK 番組をやっと観たので、ここにも返事できます
NHK スペシャルは非常に興味深い内容でした。「火事の通報を受けて急行している途中、人名救助をお願いされたら、それに応えるべきかどうか」という難しい決断を常に迫られていたようです。長田の商店街の火災では、やむなく、人名救助を中断して消火に専念するという選択を余儀なくされました。「1人助けるよりも100人助ける」という判断のためです。
他には、厚生省(当時)から「遺体の野焼きをやれ」を指示されたのを受け入れるべきかという判断もありました。冬であり腐敗が進まないことを考慮して、県外の火葬場を使うことで野焼きを回避したのでした。「遺族にとって、きちんと火葬されることが区切りとなる」という感情を優先したためです。
関西から離れた人にとっては、「14年前の災害」なんでしょうが、われわれにとっては、まだ心に残ったものと言えます。そして、同じことは、他の災害にもあてはまることは、注意したいと思います。新潟では、10月23日および7月16日が忘れてはならない日でしょうし。
ルミナリエは、年々規模を縮小していますが、なんとか収支均衡して継続してもらいたいものです。