阪神淡路大震災タグの投稿
2010-01-17
今年もまた1月17日がやってました。15年前の早朝5時46分の大きな揺れ、そしてその後発覚したさまざまな被害は今だ忘れることができません。わたしの実家は奈良県であり、幸いにもほとんど被害はなく、すぐに日常生活に戻ることができたわけですが……。
まったくの偶然ですが、きょうは新潟県の(旧)山古志村を訪問しました。ここも2004年の新潟中越地震で道路が壊れるなどの被害があったところです。写真の羽黒トンネルは、かつて右側が手掘りの歩行者用トンネル、左側が車道トンネルでした。震災によって壁面が剥れるなどの被害があっため、歩道トンネルを掘り直して西向き車道+歩道の大型トンネルに改修しました。北側のトンネルは東向き専用となりました。北側のトンネルも手掘りっぽい感じですが天井が高いので機械で掘ったようです……。
折りしも大雪で、まったく地震被害の爪痕らしきものは見ることができませんでした。「雪の農村」みたいな風景を撮影できるかと思ったのですが、雪が積もりすぎてそれっぽい景色は見つけられず。夏に再訪したいものです。
2009-01-17
関西で生まれ育ったわたしにとっては、1995年1月17日は、忘れようとも忘れられない日です。今年は14年後という「中途半端」な年なので、マスコミでは特集番組が少なく、NHK スペシャルの「阪神・淡路大震災、秘められた決断」ぐらいでしょうか。関西の民放でも特番はほとんどありません。
集められた証言はA4版でおよそ2400ページ。避難所のトイレ設置から犠牲者の斎場手配まで。被災地は何に直面し、人々はどう動いたのか? その現実を、時系列であらゆる角度から捉えたかつてない記録だ。しかも、この聞き取りは「非公開」を前提に行われたため、行政マンらがこれまで胸に秘めてきた「苦悩と選択」が克明に語られている。
どの命を優先して救うのか? 被災者に不満が残らない物資配布の方法は? 数千もの犠牲者の火葬をどう行うのか…? NHK は、研究グループと聞き取り調査の対象となった神戸市職員一人一人から了解を得て、その原文を入手してきた。
あとは、GIGAZINE の「あの『阪神・淡路大震災』で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集」もすばらしいです。GIGAZINE お得意のムービー紹介ですが、さまざまな動画が紹介されており、すべて必見だと思われます。
2008-01-17
今年もまた、1月17日がやってきました。13年前は自宅で揺れを体験しましたが、幸いにも食器がいくつか割れた程度と軽い被害で済みました。しかし、「関西には地震が来ない」という思い込みを打破させた点で、非常にショッキングな出来事でした。
とはいえ、非常持出袋をまだ作っていなかったりします
今年こそ準備せねば。
2007-01-17
今年もまたこの日がやってきました。わたしはほとんど被害を受けなかったし、震源地から少し離れていたものの、あの揺れは忘れることはできないでしょう。
13年目ということで、13回忌を取り行う方も多いでしょう。2005年は「10年という節目」としての報道が多かったですが、遺族にとっては、法事のある今年こそが「節目」と言えるかもしれません。
それにしても、関東のテレビ局は特番がないのはあいかわらずです。関西の放送局は縮小気味ですが、夕方からちゃんと取り上げた番組があるのに (Yahoo! テレビ兵庫県の地上波番組表←18日になったら見えなくなるはず)。
[追記] タイトルの「12年目」は大間違いだったので修正しました。本文はちゃんと「13年目」と書いてあるのに!!
2006-01-19
ことしで震災から11年が立ちました。今年気がついたことは、「今の小学生は地震を体感していない」ということです。小学6年生なら経験はしているはずですが記憶には残ってないので「体感」はしてないのではないかと思います。そういう基準だと中学生も厳しいかもしれません。きっちり記憶に残っているのは高校生以上になってしまいそうで、きちんと語り継いでいく必要があると思いを新たにしました。
阪神・淡路大震災は映像リソースも多数残されているので、戦争よりは難しくないでしょうが……。
2005-01-17
1995年1月17日、早朝の大きな揺れは恐しいものでした。ガタガタという振動、茶碗や皿が落ちて割れる音。今までに体験したことのない地震だったのです。当時生活していた関西の実家は震源からは 70km ほど離れていて震度4ぐらいの揺れでしたが、それでも布団にくるまって揺れが収まるのを待ちました。
テレビをつけると、大阪府で震度5,兵庫県で震度6などの情報が出ています。家の被害は、皿が数枚割れただけで家具が倒れたりはしなかったので、一安心。それでも再度寝ることはできず、テレビを見つつ学校に行くまでの時間を潰していました。その時、神戸や淡路地域ではもっと凄まじい状況だったとは露知らず……。
その後判明した被害状況はみなさんもご存知の通りです。ボランティアが多数立ち上がって災害支援が行なわれたことも、今までの災害にはなかった動きでした。
10年目となる節目の日。改めて、みなさん自身の災害対策を確認してみてはいかがでしょうか。
- 災害時の連絡網はあるか
- 避難経路および避難場所を把握しているか
- 家具の倒壊対策はしてあるか。タンス、本棚、テレビ、パソコン等
- 非常持出袋はあるか。内容: 水、非常食 (賞味期限OKか?)、替えの下着、サンダル、懐中電灯、予備電池、トイレットペーパー、新聞紙、ゴミ袋、小銭、保険証のコピー、郵便局・銀行口座の番号メモ (通帳や印鑑は入れちゃだめ)
- その他
というわたしも、非常持出袋はまだ作っていなかったりします……。さっそく準備しなければ。
2005-01-15
兵庫県南部で震度7の揺れがあってから10年。震災を体験した関西近郊の住人なら誰もあの恐しさを忘れた人はいないでしょう。当然、テレビ局も「この10年」を捉えた特番が目白押しです。
しかし、関東のテレビ局は、1/17 当日ですら、ほとんど特番がありません。唯一、テレビ朝日系列が、5:46 その時刻に特番を流す程度です (神奈川県の番組表、4時〜12時、12時〜19時、19時〜23時)。昼の「月曜サスペンス」とか時代劇とか中止してしまって、関西の局から特番を配信してもらってもバチは当たらないと思うんですが、それをしないということが、震災を「よその地域のこと」と考えているようで、情けないです。東海地震もいつ起きるか分からない状況だと言うのに……。
NHK は全国的で丸一日特番を流しますが、新生なった「神戸放送局」のアピールという目的が大きいでしょう。震災で崩壊し、ハーバランドに仮移転していた神戸局が、この日、トアロードに戻ってくるのです。いったい改築にどれぐらい受信料をつぎ込んだんでしょう??
2005-01-13
今週の「プロジェクトX」は、震災後10年を迎える神戸ネタでした。震災で高架橋が崩壊した六甲道駅を、わずか2.5か月で復旧させたという話でした。確かに、JR 東海道線の復旧は4/1で、阪急・阪神が6/27の開通だったのに比べて非常に早いものでした。
しかし、相変らずプロジェクトXは再現映像がいい加減です。そのいい加減さも楽しみの1つなので、ケチをつけるべきじゃないかもしれませんが:-)
- 冒頭で「平成7年1月17日午前5時46分」というテロップを出しながら、JR 東西線直通の列車が入ってくる。JR 東西線は震災時は未開業なのに。
- 最後の復旧工事完成を焼き鳥屋で祝う場面で背景にかかってるカレンダーが「11月」のもの。しかも、曜日配列から2004年のものと推測できる。
今回は、幸運(?)にも被災風景や工事等で実際の映像が残っていることが多いために、本物の映像を使うシーンも多かったのですが、再現映像を作るときのツメが甘いのは相変わらずです。カレンダーぐらい差し替えようよ……。
2000-01-17
あの阪神淡路大震災から今日で5年。
わたしは実家で地震にあいましたが、幸いにもほとんど被害はありませんでした。しかし、被害がどんどん報道されるにつれ、悲しくなったのを思い出します。なくなったいのちは帰ってきません。われわれができることは、悲しみをくり返さないこと。
日頃の災害対策をしっかりしましょう。災害が起きても命をとりとめるように。死んでしまえばそれで終わり、生きていればどうにかなります。
がんばろう!